
イジェギュ監督とホンジナ-ホンジャラム作家、そしてキムミョンミン。彼らは韓国ドラマで独特の位置を占める名前だ。彼らの中で、誰も平均視聴率30%以上を記録するようなドラマに参加してはいない。 また、彼らの代表作は、それ以前の韓国ドラマが守って来た商業的な公式を一足ずつ反れているということだった。 イジェギュ監督のMBC「茶母」は韓国式武侠ドラマと同時に時代劇だったが、英雄の凉しい活躍の姿の代わりに、時代にぶつかって挫折する三人の男女の話を描いた‘一番若い時代劇’だった。また、ホンジナ-ホンジャラム作家の4部作 MBC「泰陵選手村」はスポーツドラマでありながらも、それを競争の代わりに胸が熱くなる成長を描いた青春ドラマとして解いた。そしてキムミョンミンは、韓国well madeドラマの標準になった MBC「白い巨搭」でチャンジュニョクを通じて複合的なキャラクターを演じる方法が何なのかを見せた。彼らのドラマは、各自の分野で充分に商業的であるはずであったが、同時に商業的である‘だけ’というには目立つ部分があったし、彼らの次期作はいつも「茶母」と「泰陵選手村」、そして KBS「不滅の李舜臣」と「白い巨搭」を忘れられない人々には期待の対象だった。
韓国ドラマ, クラシックとの初出会い 
彼らが「Beethoven Virus」で一同に集まったのは面白い‘アクシデント’だ。 最初に「Beethoven Virus」は実現不可能なプロジェクトだった。「のだめカンタービレ」が若い層を中心に人気を呼んだとは言え、 韓国でクラシックを素材にしたドラマは相変らず作られ難い対象だ。クラシックという素材自体がまだ検証されなかっただけでなく、クラシックをドラマと接合させるどんな専門人力もない。「のだめカンタービレ」ではBeethovenの「英雄」を媒介に葛藤を経験した大学オーケストラ団員が一箇所に縛られる。しかし、韓国でそのように音楽とストーリーが上手く調和した結果が出来得るか。イジェギュ監督は一時、このような悩みの為、効果的な映像を見せるように公演場のセットを新たに作ることまで考慮したと言う。また1カット、3〜4秒を超えないスピーディな映像で、これを乗り越える計画だ。それほど穏かなクラシックを ‘胸ときめくように’ 作るのは易しくない事だ。韓国で音楽を扱ったドラマが易しくないということは、ホンジナ-ホンジャラム作家が MBC「オーバー・ザ・レインボー」でもう経験してみた事がある。特に大衆に疎いクラシックなら、もっとそうだ。
その上、「Beethoven Virus」はオーケストラ全体の話を取り上げる。勿論、作品の中心には ‘カンマエ’(マエストロ・カンを意味する言葉)と呼ばれる指揮者、カンゴヌとイジヌが演じる楽匠トゥルミ、そしてカンゴヌに音楽の授業を受けるもう一人のカンゴヌがいる。しかし、それぞれの事情を持ったオーケストラ団員の話をしながら、彼らが持った夢をのぞき見るという「Beethoven Virus」の企画は、それ自体が手強い。「Beethoven Virus」はこの絵どおりのドラマを制作する為に、演奏とクラシック演技の全てが可能な助演級演奏者たちをオーディションを通じて選抜しなければならなかつたし、彼らの含まれたプロジェクトオーケストラが、ドラマに必要な演奏曲の数々を録音するようにしなければならない。誰もまともにやってみたこともなく、それでもちゃんとしなければ、「のだめカンタービレ」との比較に合って悪口を言われるしかない。ともすれば「Beethoven Virus」のクライマックスは、ドラマ後半ではなくドラマの中のオーケストラが初演奏をする場面が TVに放映されるその瞬間かも知れない。それは、韓国ドラマが初めてクラシックを ‘ちゃんと’ 画面に移す瞬間だ。
平凡な人々を演奏者に導くキムミョンミンというマエストロ 
特に「Beethoven Virus」が一時流行ったダンスゲーム・ポンプの為にBeethovenのピアノソナタ 8番イ短調作品 13番 3楽章を編曲した曲のタイトルという点は異彩だ。 タイトルが暗示するように、「Beethoven Virus」が志向するのはクラシックというジャンルが象徴する厳格で優雅な世界ではなく、 車の中のラジオからふっとかすめて行ってクラシックを聴く平凡な人々に関してだ。もし、トランペットを吹きたい交通警察があったらどうだろう?バイオリンを弾きたい9級公務員が、本当にオーケストラに入ることが出来たら、彼はどんな音楽をするだろうか。「のだめカンタービレ」が優れた才能を持ったミュージシャンたちが徐々にメジャーな世界に進入する話だとすれば、「Beethoven Virus」はイジェギュ監督の表現によれば、”マイナーがメジャーの世界を眺める” 話だ。それは、平凡な韓国人がクラシックを眺める視線でもある。
その為、「Beethoven Virus」は一種のアイロニーの盛られたコメディーにもなり得る。 バイオリンでトロットを演奏しなければならなかった 9級公務員が、オーケストラでクラシックを演奏したらどんなことが起きるか。大衆とクラシックの距離感を、クラシックを通じて再び狭めることはアイロニーであるかも知れない。しかし、それは今クラシックを、 あるいは専門職ドラマを、そして平凡な人々の人生を視聴者たちに伝達する正攻法であるのかも知れない。その為、「Beethoven Virus」にキムミョンミンが参加したことは、単純な主演俳優キャスティング以上の価値を持つ。演技力に対する信頼と大衆性を全て持っているこの俳優の出演は、「Beethoven Virus」に対する視線を集めることができる最後のパズルの切れ端だ。キムミョンミンが加勢して「Beethoven Virus」は大衆性と共に作品に対する重みを得た。それは彼が、「不滅の李舜臣」と「白い巨搭」を通じて得たことでもあるが、まだストーリーを説明し易くない「Beethoven Virus」の話を一つに集めることが出来る俳優だからだ。 クラシックという素材にオーケストラ団員の多様な話を効果的に知らせることは、容易い事ではない。しかし、彼らを集めるのがキムミョンミンなら話は変わる。視聴者たちは「Beethoven Virus」のストーリーはまだ分からなくても、キムミョンミンの存在感が何なのかは分かっている。「Beethoven Virus」で指揮者キムゴヌは、トランペット演奏者キムゴヌをミュージシャンに育てる。 ‘誰かを導く厳格な男’として、キムミョンミン程の演技者を見つけるのは易しくない。そして、ここにキムミョンミンの実姉はピアニストで、義兄は指揮者という偶然まで加わる。
期待される、「Beethoven Virus」
勿論、このすべての良い ‘試み’とは違い、「Beethoven Virus」は期待程の成果を出すことが出来ないかもしれない。イジェギュ監督が 3年、ホンジナ-ホンジャラム作家が 2年ぶりに新しいドラマをするようになったことは、今、韓国でドラマを作るのがいかに容易では無い、ということに対する傍証でもある。 「Beethoven Virus」へと来るまでに、彼らは何作品かを諦めなければならなかったし、その間手強い時間を送らねばならなかった。そして、彼らはそのように難しくドラマ制作を確定しながら、一番易しくない道を選択した。「magazine T」が今、「Beethoven Virus」を扱うこともやはり、それに対する期待感の反映だ。クラシックがゲーム音楽で使われる時代だが、相変らず TV ドラマではクラシックも、 専門職ドラマというジャンルドラマも、 平凡な人の話もめったに出ない。「茶母」と「泰陵選手村」、 そして 「白い巨搭」がそうだったように、「Beethoven Virus」も私たちが韓国ドラマで見られることをもう一指尺広げ得るか。
[magazinet]2008-04-17 14:51
http://www.magazinet.co.kr/Articles/article_view.php?mm=006001000&article_id=47925
posted by rika1999 at 14:31|
■MBC「Beethoven Virus」
|

|