2007年11月16日

「茶母」で花が咲いた実験精神、「ファッション70s」で消え失せる

[スターはいない 5] スターPD(3) イジェギュ - あまりに早く‘金の味’を知ってしまった、あまりに早く ‘システム’に手懐いた

私も痛かった。
従事官ファンボユンとチェオクが互いの傷を撫でる時、周囲は彼らの一言プロポーズを聞く為に、固唾を呑んだ。彼女を愛して以後、一日も深く眠ることが出来なかったファンボユンが、いよいよチェオクの腕の中で ‘深い眠り’についた時、ドラマ「茶母」は伝説になった。愛によって他の愛を切らなければならなかった悽絶な3人の運命は、視聴者の‘心臓を抉ってしまった’。

イジェギュの演出デビュー作だった2003年のMBCドラマ「茶母」(シナノオ/チョンヒョンス)は、そのように終わっても終わらないドラマとして嬖人現象を駆って来た。

史劇にも‘嬖人’が出来得るという事実を「茶母」以前は、まだ分からなかった。インターネットとケーブルへと去ってしまったと思った新世代の視聴者たちが帰って来た。奇現象だった。同時代の若い視聴者たちがこのドラマの一場面一言から目と耳を放すことが出来なかった。映像世代を捉える新しい演出者の誕生だった。

「茶母」、慌惚な実験精神

「茶母」は悲劇の精髄を見せてくれた。同じ空の下、共存することが出来ない3人ファンボユン(イソジン)-チャンソンベク(キムミンジュン)-チャンチェオク(ハジウォン)の出会いと行き違いは、‘運命的愛’ そのものだった。ソンベクとチェオクが別れた兄妹という出生の秘密が主要プロットだったが、全く常套的ではなかった。出生の秘密と三角関係は、適材適所で悲劇の深みを加えた。

5e4f2bacf43159eb467a13498e99b21d.jpg「茶母」制作陣が史劇の形態を借りたのは、実際一番劇的で運命的なラブストーリーをちゃんと解く為のように見えた。これ以上‘運命’が互いを引き離し憎くなったラブストーリーで、劇的なメロドラマを作ることは実に難しくなった現代を背景にしない理由だ。同世代の感受性に朝鮮時代の服を着せた‘フュージョン史劇’「茶母」の選択は卓越だった。

両班の庶子として生まれた従事官ファンボユン、叛軍の頭領チャンソンベク、この2人共を愛する女刑事(茶母) チェオク。彼ら3人が出会う場面は、互いの運命が衝突する地点だった。通常のメロドラマではなかった。会えば黒くぶつかり、血が飛び散った。その愛は血を要求する愛だった。誰かが血を流してこそ維持される愛だった。誰かが命をかければこそ成り立つ愛だった。生きては決して成すことが出来ない縁だった。

愛する女人に愛を告白する瞬間さえ、空中で剣同士をぶつける雨の中の対連場面だった。‘従事官ナウリ’が愛されることは、それで慌惚な苦痛だった。ファンボユンとチェオクが互いにし得ることは、ただ生き残ることだけだった。生き残るように恐ろしく鍛錬させることだけだった。 彼らは愛するのに死に物狂いで、互いの首を狙った。 空中で刀のぶつかる音だけが聞こえる沈黙は、しかし心臓の音よりもっと騷騷しかった。息が詰まった。 かつて、こんなラブシーンはなかった。このように激しい愛の告白はなかった。

台詞は大部分1行だった。いや、一行もとても長かった。愛も悲しみも、述語一言で終わってしまうのが常だった。チャンソンベクの本拠に入って行こうとするチェオクを、突然抱きしめながらも、“行け”と言うしかないファンボユンの反語法、それが「茶母」の話法だった。短縮語がもっと多い感情を伝達した。節制された台詞は、断末魔の悲鳴と溜息だけでも、山のような愛を伝達するのに成功した。

チョンヒョンス作家は台詞が即ち‘アクション’というのを知っていた。言わないことで、もっと多い言葉を吐き出す方法を知っていた。演出は場面と符合しない、そのすべての手写は蛇足なのを知っていた。彼らはよどみなかった。不必要なことは敢然と取り除いた。「茶母」は、初場面から最後の場面までこぎれいだった。 プロットは単純だったが精巧だった。最後まで緊張感が生きていた。3人の主人公の愛は、それで希代のラブストーリーになった。と、言えども「茶母」は官軍で死んだ兵士たちの姿までも憐愍に扱った。 カメラは世の中を丸ごと盛ってしまうことが出来なくて息苦しがった。ブラウン管をかき分けることが出来なくて揺れた。

「茶母」の成功は以後、‘フュージョン史劇’だけが成功するという公式ではない公式を作り出し、幾多の亜流作を量産させた。演出者イジェギュと作家チョンヒョンスが自分たちの名を賭けて作った初作品「茶母」は、そのように史劇の流れまで置き変えた。チャンソンベク(キムミンジュン)の最後の台詞は現実になった。“私が死ねば、人々が道を作るのだ”と語った彼の壮語通り、新しい‘道’、新しいジャンルの出現だった。

映像世代の威力を見せた「茶母」

俳優たちは勿論、作家と演出皆「茶母」終映以後は、これ以上‘新人’ではなかった。デビュー作が直ちにスター級に繋がったのだ。イジェギュPDはドラマ界のスターに浮び上がった。1996年にMBCに入社し、日々劇「ポゴトポゴ」「クッキ」「アジュムマ」のアシスタントディレクターを経たイジェギュPDは、「茶母」でドラマ演出者の世代交代を予告した。ドラマ関係者たちは彼を‘不十分に熟したリンゴ’と評価しながらも、彼の歩みに注目しなければならなかった。単純に青二才のアクション活劇程度で心に刻んでおくことが出来なかった。彼は映像で思考することが出来た。彼のドラマが持った‘魔力’の秘密だった。 爆発的な反応は、もしかしたら当たり前だった。イジェギュは視聴者たちが喉が乾くように待った、正しくそれを持って現われたからだ。

‘茶母嬖人(廢人)’シンドロームは、国内で新しい文化現象として広まり、「茶母」は海外でまで好評を博し、2004年にシンガポールで開催された第9回「アジアTV賞」でドラマ部門最優秀作品賞を受賞したりもした。映像文法こそ新世代の新しい万国公用語であることを再確認させたわけだ。ドラマ制作者たちがそのように、切なく渇求する魔法の注文 ― 同世代との共感を引っ張り出すコードをイジェギュは、もう悟ったように見えた。

‘嬖人’らが果てしなく「茶母」の名場面と名台詞を回して見る間、彼の後続作ではなく辞職の消息が聞こえて来た。イジェギュPDは2004年4月、「ベスト劇場〜少林寺にはお兄さんが住む」 (シナリオ/チョンヒョンス)を最後にMBCを去る。以後、キムジョンハクプロダクション所属のPDになったイジェギュは、2004年5月、 SBS24部作HDドラマ「ファッション70s」(シナリオ/チョンソンヒ)を披露した。

「ファッション70s」、失敗する自由を封鎖された‘システム’の組合せ

d87e1c2e5049f03b8d596251b03f98a2.jpg「ファッション70s」が放映された初日、‘嬖人'たちは演出者の名前を再び確認しなければならなかった。確実に彼が作ったのか?信じられなかった。血が飛び、肉が取られるラブストーリーを、身の毛がよだつように美しく表現したイジェギュPDは消え失せていた。精巧にプロットを組み、果敢にカメラを回したその‘実験’が消えたのだ。

2番目の作品「ファッション70s」でイジェギュの演出は完璧に変わっていた。誰より安定して粹なトーンで映像を合わせた。確かに映像を作る色は老練されていた。苦心の跡が見えた。しかし、演出がHD級カメラを恐れて緊張する小さなキズがありありと見えた。‘失敗’出来ないという心忙しさが、画面全体を支配していた。

「ファッション70s」はその過程や結末によって、とても慣れたドラマで終わってしまってしまった。 筋書やエピソード、キャラクターどれ一つとして食傷しないものがなかった。韓国人には、あまりにも慣れた設定に慣れたエピソードに慣れた話法が毎回続いた。‘後先になった子供’と‘初恋’という、チョンソンヒ作家がもう何度も書いて来たお決まりの筋書も魅力がないのは同じだった。朝鮮戦争直後のファッション変遷史という派手な目の保養を期待したが、それは仄めかすだけになってしまった。

時代劇「ファッション70s」に ‘ファッション’はなかった。あるのはただ、後先になった子供と後先になった運命、私の娘を貴婦人に作ろうとするオミ(ソンオクスク)の執着と悪魔的な母性愛だけだった。ソンオクスクは、この方向を喪失したドラマの‘柱’ の役目を引き取って、最後の回まで悪役を専担した。

筋書は毎回少しずつ修正され、ファッションに対する部分はますますもっと減った。 口だけで服を作ってファッションを詠じまくった。こまごましい個人事と過去の秘密だけが、思いきり繰り返され、‘ファッション’は陷沒されてしまった。甚だしくはファッションを標榜したドラマが、服を直接デザインして製作しない飛ばし製作が続いた。2005年に販売されている服が堂堂とドラマの小物として登場した。

イジェギュの映像美、アマチュアリズムの勝利か?

重要なことは「ファッション70s」に対して、誰も‘演出力’を論じなくなったという変化だった。24部作が放映されるうちに、関連記事は皆視聴率数値を伝える内容だけだった。スターPDの真価は、ただ視聴率の数字にだけ評価を受けるのが至上というSBSの慣行だった。ドラマ「ファッション70s」は終映が近付く程に満身創痍になって行った。しきりに新しいエピソードが追加された。新しさというのはなかった。どこかでたくさん見て来た古臭い設定の数々と、見なくても幾列にも諳んじられるお決まりの台詞の数々、そしてどんな意味もなしに主人公の顔だけクローズアップする‘平面’が繋がった。

「茶母」はもしかしたら、‘アマチュアリズム’の夢のような勝利だったのかもしれない。失敗する自由と度胸を持った者の蛮勇であったのかもしれない。2番目の作品で完全に固有性とアイデンティティを忘れてしまったイジェギュの演出は、失敗する機会を遮断された‘システム’の現実を現わした。

彼はまるで「茶母」でチャンソンベクがチェオクにした要請のように“過ぎた事は皆忘れて”捨てたようだった。そうだった。視聴率が唯一の定規になる状況で‘真剣勝負’は立つ席がなかった。“お前は自分の剣に、いくら自信があるのか?”と問ったファンボユンの意気、‘空’も切り取ってしまうというチャンソンベクの悲壮さえ、視聴率グラフの前では伸び伸びとすることは出来なかった。‘市場’では残る程度のみすれば良かった。他人が行った道を、また踏めば良かった。 どうしても、2桁の数字以上に体面の繕いをするのが重要だった。

彼が2番目で選んだ職場こそ、殺戮の戦地だった。生き残るのが何より重要だった。そうではなければ ‘次’がないからだ。

キムウォン文化評論家

[dailyseop]2007-11-16 11:04:00
http://www.dailyseop.com/section/article_view.aspx?at_id=67490

posted by rika1999 at 17:56| ■TOPICS | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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